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循環器病対策基本法・基本計画に基づき、日本の新しい循環器医療を模索

循環器病対策基本法・基本計画に基づき、日本の新しい循環器医療を模索

取材日:2020年12月22日(火)

 2018年12月、「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」(以下、基本法)が成立、2019年12月に施行され、さらに昨年(2020年)10月には基本法に基づく「循環器病対策推進基本計画」(以下、基本計画)が閣議決定されました。今後は基本法および基本計画を踏まえ、都道府県ごとに地域の実情を反映した循環器病対策推進計画(以下、推進計画)を策定し、循環器病診療・研究の充実、発展に向けた具体的な取り組みが始められる見通しです。そこで、日本循環器学会基本法対策推進委員の1人として基本法成立に尽力された、同学会前代表理事で東京大学循環器内科教授の小室一成先生に、基本法成立の背景、基本法および基本計画の概要、さらに今後の展望について伺いました。

お話を伺った方
小室一成先生(東京大学 循環器内科 教授)

健康寿命延伸、医療費抑制には循環器病の克服が急務

 日本では、約40年にわたりがんが死因のトップに位置しています。一方、脳卒中を含む循環器病による死亡数もがんに劣らず多く、2015年の調査によると65歳以上の高齢者でほぼ同等、75歳以上の後期高齢者ではがんを年間約2万人上回ります1)。そのため、高齢化の進展が著しい日本において、循環器病の克服は急務であると言えます。

 循環器病をめぐる課題の解決に当たり、小室先生が注目するのが日本人における平均寿命と健康寿命の乖離です。「日本人の平均寿命は世界でもトップクラスですが、健康寿命との差を見ると、男性で約9年、女性で約12年の乖離が存在します(図12)」と小室先生。これは、多くの高齢者が約10年にわたり、なんらかの形で支援や介護を受けていることを意味します。「こうした要介護に至る原因を疾患別に見ると、脳血管疾患が16.6%、心疾患が4.6%で、両者を合わせた循環器病が21.2%と最多でした(図22,3)。したがって、健康寿命を延伸するには、何より循環器病の克服が重要と考えられます」と小室先生は強調します。

図1 平均寿命と健康寿命の差 図2 介護が必要となった原因の構成割合

 一方、高齢化の進展に伴い増加し続ける医療費の問題も無視できません。2013年に国民医療費は40兆円を超えましたが、循環器病に費やされる医療費は全体の約2割を占め、がんの約1.5倍に達しています4)

 現在、このような課題を抱える循環器病ですが、小室先生は「認知度に関してはがんとの間にかなり格差があります」と指摘します。「循環器病はがんと異なり生活習慣が大きく影響するため、1人1人の生活習慣改善により発症や死亡を減らすことが可能です。しかし、国民の多くが循環器病の実態を知らないために、予防ができていないというのが現状です」。基本法および基本計画策定の背景には、何よりもまず循環器病に対する国民の認知度を上げる狙いがあるようです。

基本法成立を見据え、5ヵ年計画で5つの戦略事業を策定

 基本法および基本計画に先立ち、2016年12月に日本循環器学会と日本脳卒中学会は共同で「脳卒中と循環器病克服5ヵ年計画」(以下、5ヵ年計画)を発表しました。5ヵ年計画では、脳卒中、心不全、血管病が重要3疾患として位置付けられ、①人材育成②医療体制の充実③登録事業の促進④予防・国民への啓発⑤臨床・基礎研究の強化-の5つが戦略事業として掲げられています。

 5ヵ年計画では重要3疾患について現状の課題と具体的な対応策が提示されていますが、「特に心不全については、より一層の診療体制の整備が必要です」と小室先生。急性期から回復期・維持期までを見据えたシームレスな診療体制の構築が必要だといいます。

 5ヵ年計画を策定した狙いについて、小室先生は「基本法の成立後スムーズに活動が開始できるよう、学会として課題や目標、戦略を決めておこうと考えました。5ヵ年計画で示した内容は、結果的に基本法および基本計画におおよそ反映されたと思います」と話しています。

基本計画の施策①市民への啓発―小児期からの学校教育を重視

 基本法を受けて策定された基本計画では、達成すべき「全体目標」として①循環器病の予防や正しい知識の普及啓発②保健、医療及び福祉に係るサービスの提供体制の充実③循環器病の研究推進-の3つが掲げられました。これらは、具体的にどのような内容なのでしょうか。

 循環器病の予防および市民に対する啓発の具体策について、小室先生は次のように説明します。「循環器病は、個々人の生活習慣改善に向けた心がけにより予防可能な疾患です。そこで、循環器病の予防について学校教育を通じ小学生、中学生に学んでほしいと考えています。小児期は良好な生活習慣が身に付きやすく、成長後の継続も期待される他、保護者にも良い影響があると考えられます」。さらに、「他の疾患では目の前で倒れた人の救命はできませんが、循環器病は心臓マッサージで1人の命を救うことができます」と話し、自動体外式除細動器(AED)を用いた心肺蘇生に関する啓発の重要性も強調しました。

 こうした啓発の手段として、基本計画ではマスメディアや関係団体との連携に加え、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の活用も掲げられています。この点について、小室先生は「これまで、各学会は疾患啓発を目的とした市民公開講座を開催してきましたが、参加人数や開催時期などの点で課題がありました。SNSを用いることでより効果的な啓発ができると考え、日本循環器学会でも広報活動に取り入れ始めたところです」と新たなチャレンジに意欲を見せます。

基本計画の施策②医療体制の充実―地域の心不全診療は療養指導士の役割に期待

 続く医療体制の充実に関して、小室先生は「特に循環器救急の搬送体制の整備と、心不全の回復・維持期の体制強化を目指します」と言います。

 循環器救急の中でも、急性心筋梗塞(AMI)/急性冠症候群(ACS)の治療では、胸痛発生後の一刻も早い搬送と直接的経皮的冠動脈インターベンション (primary PCI)施行が重要です。近年、医療側の工夫により院内におけるdoor to balloon time(DTBT)の短縮が実現しつつありますが、小室先生はこれに加え、先述の疾患啓発と救急搬送体制の整備によるonset to balloon time(OTBT)短縮の必要性を強調します。「米国の研究では、一定以上のDTBT短縮は生命予後と関連しないというデータが得られています5)。いくらDTBTが短くても、PCI施行可能施設までの搬送に長時間を要しては意味がありません。OTBTを短縮するには、救急搬送体制やPCI施行における都市部と地方の格差を是正する必要があります」。

 さらに医療体制の充実については、心不全患者に対する地域包括医療の具現化もポイントになるようです。「心不全の回復期・維持期においては、心臓リハビリテーションの施行が重要です。近年、心臓リハビリテーションは心不全患者の再入院を減らし、生命予後も改善するというデータが出始めています6)」。しかし、入院中に心臓リハビリテーションを行える施設は増加傾向にあるものの、「退院後の対応は不十分です」とも。「理学療法だけでなく、薬剤の管理や生活習慣の是正などを含めた広い意味でのリハビリテーションについて、急性期病院と地域の施設がシームレスに連携を図っていかなければなりません(図37)」と指摘します。

図3 循環器病患者に対するシームレスな医療体制

 このような問題意識に基づき、小室先生が旗振り役となって創設されたのが、今年(2021年)度に開始される心不全療養指導士認定制度です。慢性心不全患者に対する心臓リハビリテーションなど、地域の心不全診療において中心的な担い手となることが期待されています。小室先生は「多職種の方に心不全療養指導士の資格を取得していただき、退院後の心不全診療についてイニシアチブを取ってもらいたいと考えています。各地域で、心不全療養指導士を中心としたネットワークをつくってもらいたいですね」と期待を寄せます。

基本計画の施策③研究の推進-基礎研究への注力で「心不全が治る時代」に

 日本循環器学会では既に、悉皆性の高いレジストリ研究として、国内全ての循環器専門医研修施設/研修関連施設のデータを登録した循環器疾患診療実態調査(JROAD)を毎年行っています。基本計画では「全体目標」として循環器病の研究推進も掲げられていますが、新たにどのような取り組みを目指すのでしょうか。

 小室先生は「JROADとは異なる新しいレジストリ研究が必要と考えています」と話します。「JROADでは循環器病ごとの症例数が把握可能ですが、症例ごとに治療の種類や予後を追跡することはできません」。この新たなレジストリ研究が対象とする疾患はほぼ決まっているそうですが、目標や方法については学会内で議論が継続されているようです。

 一方、小室先生が循環器病の領域で最も危惧するのが、基礎研究の遅れです。「循環器病の領域では、予後を改善する薬剤が多数存在し、PCI、植え込み型除細動器(ICD)、補助人工心臓(VAD)といったデバイスによる治療も進歩しています。しかし、日々の臨床業務の多忙さなどから、循環器病の発症原因そのものを突き止める基礎研究は遅れています」。

 そこで基礎研究の活性化を目指し、小室先生が中心となって立ち上げた日本循環器学会基礎研究フォーラム(BCVR)が2018年から開催されるようになりました。「日本では基礎研究を行う研究者が減り、循環器病については10年前と比べ論文数が半減しています。一方、海外では基礎研究が非常に大規模化しており、個々の医師や研究機関の努力だけでは太刀打ちできないレベルに達しています」と小室先生。今後、基本法および基本計画を根拠に研究費が増額され、スピーディーかつ大規模に基礎研究に取り組めるシステムが構築されれば、「20年後には心不全が治る時代が来ると思っています」と展望します(図48)

図4 循環器病における基礎研究・臨床研究の強化

各都道府県の推進計画についても、日本循環器学会はモデルを検討中

 昨年10月に基本計画が閣議決定されたことを受け、今後は各都道府県に循環器病対策推進協議会(以下、推進協議会)が設置され、推進計画策定に向けた議論が開始される見通しです。しかし、昨今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延の影響で閣議決定自体が当初の予定より遅れたこともあり、各都道府県での議論はまだ緒に就いたばかりのようです。小室先生は「今回、基本計画は3年後の見直しが必要なので、本来は今年3月までに各都道府県で推進計画を策定し、4月には具体的な施策を開始することが望ましいのです。各都道府県の担当者には、ぜひ推進計画の作成を進めていただければと思っています」と話します。

 具体的に、各都道府県の推進計画はどのような内容が望ましいのでしょうか。小室先生によると、日本循環器学会のワーキンググループは、具体的な目標や目標達成に必要な事項を検討し、モデルとなる案を各都道府県に示す予定にしているそうです。「各都道府県の推進協議会ではこのモデルを参考にし、地域の実情を踏まえて検討を進めてほしいと考えています。推進計画が各都道府県で大幅に異なると互いに比較することができないので、原則的なモデルに追加、修正してもらうことを想定しています」。推進計画で定めた目標達成の振り返りについては、「例えばAMI/ACSであれば、院内死亡率や24時間体制でのPCI施行率といった各施設のデータを、およそ2年ごとに推進協議会で評価してもらう予定です」と話します。

基本法を契機に、各地域で新たな循環器医療の実現を

 最後に、循環器医療に携わっている全国の医師、メディカルスタッフに向けたメッセージを伺いました。「超高齢社会を迎え、今後ますます循環器病の患者さんは増加し、従来通りの診療体制ではとても対応できない時代が到来すると予想されます。しかし、幸いにも基本法が成立・施行されたことで、これまで以上に国と各都道府県による循環器医療への真剣な取り組みが期待されます」と小室先生。「国や地方自治体の方々とともに、各地域で新しい循環器医療を目指していただければと思います」と期待を込めました。

 基本法および基本計画により、日本の循環器医療は新たな時代の幕開けを迎えようとしています。

文献

1)厚生労働省. 2015年人口動態調査.

2)厚生労働省. 第1回循環器病対策推進協議会資料. 循環器病対策の現状等について.

3)厚生労働省. 2016年国民生活基礎調査.

4)厚生労働省. 2017年度版国民医療費の概要.

5)Menees DS, et al. N Engl J Med 2013; 369: 901-909.

6)Davidson DM, et al. Eur J Cardiovasc Prev Rehabil 2010; 17: 393-402.

7)厚生労働省保険局医療課. 平成26年度診療報酬改定の概要(2014年4月15日版).

8)日本脳卒中学会・日本循環器学会ほか. 脳卒中と循環器病克服5ヵ年計画 2016. http://www.j-circ.or.jp/five_year/files/five_year_plan.pdf

 

EVO214144MH1(2021年6月作成)